肺がんを対象とした研究では、女性の方がタバコ煙に含まれる発がん物質の影響を受けやすく、男性より少ない喫煙量でもがんを発生しやすい可能性が明らかになりました。こういった事実は喫煙感受性において性差の存在を疑わせます。
はじめに
2009年11月9日に厚生労働省の「国民健康・栄養調査」が発表され、習慣的に喫煙している男性の喫煙率が2008年は36.8%となり、1981年の調査開始以来最低になったことが分かりました。全体では21.8%で、5年間で5.9%下降、とくに男性は10.0%も減少しましたが、女性は9.1%とほとんど減少していません。また、女性の喫煙率では30代が18.0%で最も高く、続いて20代が14.3%、40代が13.4%と、比較的若年女性の喫煙が増加しています。喫煙の影響が最も大きく「タバコ病」ともいわれるCOPDは、従来男性の肺疾患といわれていましたが、最近女性患者が増加しています。アメリカのCOPDによる死亡数の推移を見ても、1980年には女性は男性の半数以下でしたが、その後急速に増加し、2000年には女性が男性を超えました。わが国では40歳以上のCOPDは男性16.4%に対し、女性5.0%(NICE study)でありまだ少ないのですが、前述したように女性の20・30歳代で喫煙率が増加しており、今後女性のCOPDが増加するものと考えられます。女性のCOPDが増加している原因の1つに喫煙感受性の影響が指摘されています。喫煙量が同じだった場合、疫学的に女性の方がCOPDを発症しやすいことが明らかになっています。
喫煙の肺がんに対する人口寄与危険率は、日本人男性で70%、女性で26%と推定されていて、女性肺がんと喫煙との関係は強くないように思われます。しかし女性の方がタバコ煙の発がん性物質の影響を受けやすいことが多数報告されています。肺がんを対象とした研究では、女性の方がタバコ煙に含まれる発がん物質の影響を受けやすく、男性より少ない喫煙量でもがんを発生しやすい可能性が明らかになりました。こういった事実は喫煙感受性において性差の存在を疑わせます。
喫煙とCOPDと性差
女性は男性よりも1秒量の年間低下率が大きく、COPDの診断率が低く、臨床症状の出現や訴えが強く、緊急入院が多いと報告されています。De Torresら1)は、同程度の肺機能の男女の比較で、女性の方が少ない喫煙量でも早期にCOPDを発症し、COPDの急性増悪の頻度が高く、QOLの低下が大きく、呼吸困難が強いと報告しました。さらに女性は男性と同じ喫煙量で比較しても有害化学物質の体内吸収量が大きく、肺機能の低下が大きいこと、少量喫煙の影響調査でも、副流煙の影響(受動喫煙)をより受けやすいことなど喫煙感受性の高さが証明されています。このように女性が男性より喫煙の影響を受けやすい原因としては、解剖学的性差(女性の方が肺自体が小さく、気道径が小さいなど)、肺の成長発育の性差(女性の方が早熟で加齢が早いなど)、気道過敏性の性差、全身炎症性マーカーのC反応性蛋白が女性の方が高い2)などが報告されています。
喫煙と肺がんと性差
喫煙と肺癌の因果関係はすでに確立されています。一日あたり喫煙本数が多いほど、喫煙期間が長いほど、喫煙指数が高いほど、喫煙開始年齢が早いほど、肺癌で死亡する危険が増大します。男女を問わず喫煙は肺がんリスクに強く関連しており、1日2箱以上の喫煙者は非喫煙者に比べ肺がん発症リスクは約50倍にもなります。肺がんは喫煙男性に圧倒的に多いため、一般的には男性の方が喫煙の影響を受けやすいように思いがちですが、女性は男性より少ない喫煙量で肺がんを発症しますし、肺がん患者の平均年齢が若いことから、喫煙による肺がん発症のリスクは統計学的には女性の方が高いわけです。Rischら3)は、女性喫煙者は男性喫煙者の約3倍も肺がんが発生すると報告しています。Henschkeら4)は、喫煙者の肺がんリスクとその死亡率の男女間比較を行った結果、喫煙女性の肺がんリスクは喫煙男性の2倍で、女性肺がん患者の肺がん死亡リスクは男性の半分であるとの研究結果を2006年のJAMAに発表しました。本邦でも前田ら5)は、性差および喫煙による群分けは独立した有意な予後因子であると報告しています。一方、Freedmanら6)はアメリカ人男女約50万人の喫煙習慣と肺がん発症率との関連について分析し、喫煙女性は喫煙男性に比べ肺癌になりにくく、非喫煙女性は非喫煙男性に比べて肺がん発症リスクが高いと2008年のLancetに報告しました。非喫煙女性の肺がん発症リスクは非喫煙男性の1.3倍でした。
喫煙女性が喫煙男性に比べタバコ煙由来の発がん物質の影響を受けやすい理由に関して、様々な研究が行われています。女性は男性に比べ喫煙によるCOPDと肺がん発症のリスクが高い理由は、たばこ煙の化学物質の代謝に性差があるためとの報告7)があります。体内に吸収されたタバコ煙の発がん物質を代謝し、活性化する酵素であるチトクロームP450の発現が、女性喫煙者の肺で亢進していました。
能動喫煙で起きる病気はすべて受動喫煙でも起きえます。家庭・職場の受動喫煙が非喫煙者の肺がん死亡リスクを有意に20%増加させます8)。非喫煙者の女性肺がんの増加が問題になっていますが、そのうちの大きな原因である女性の受動喫煙に対しては、発がん物質の多くは、タバコを吸った煙(主流煙)よりも、タバコをはいた煙(副流煙)に多く含まれていて、喫煙男性の妻の肺がん死亡率は、非喫煙男性の妻より明らかに高く、夫の喫煙量とともに高くなるなど多数の報告があります。Kurahashiら9)は、40~69歳のタバコを吸わない日本女性で、夫からの受動喫煙によりタバコを吸わない妻が肺がんに罹るリスクは約30%高いと報告しています。また、成人男女の非喫煙者で、喘息に罹患の有無により、受動喫煙の肺機能に及ぼす影響を調べた研究によれば、男性非喫煙者では受動喫煙と肺機能低下との関連は認められませんでしたが、女性では喫煙暴露が大きい群で肺機能低下が生じ、喘息罹患非喫煙女性ではさらに肺機能低下が著しいという結果でした10)。
肺がんにおける喫煙感受性遺伝子の性差
肺がんの発生に及ぼす喫煙の影響としては、もちろんタバコ煙に含まれる化学物質による直接作用、とくに遺伝子レベルでの様々な変化がありますが、そのほかにある特定の個体に強く引き起こされる病的な遺伝子変化があります。喫煙者が全例肺がんを発症することはなく、重喫煙者でも発がんしない症例が多く存在します。すなわち個人的には遺伝的に感受性の違いがあり、喫煙の影響は感受性の強い個体に選択的に生じると考えられます。喫煙による肺がん発生の感受性に何らかの遺伝的素因が関係していることはすでに明らかになっていますが、肺がんは親から子へ遺伝することはありません。精子や卵子といった生殖細胞の遺伝子の異常であれば親から子へ遺伝しますが、肺がんは体細胞の遺伝子異常で起こるので、「がん遺伝子」がそのまま遺伝することはありません。それでは「がん家系」とはなにか? それは肺がんには「遺伝的要素」が残念ながら関与しているからで、家族に肺がんがいる場合肺がんになる危険性は2~3倍になりますが、肺がん発症にはこのような「遺伝的要素」よりも、前述した喫煙など環境因子の影響のほうがはるかに大きいとされています。
タバコ煙には4000種類以上の化学物質の存在が確認されており、約200種類の有害化学物質、ベンゾピレン、ベンゾパイエン、ニトロソアミン、芳香族アミンなど60種類以上の発がん物質が含まれています。これを体内で代謝して無毒化する分解酵素として、ベンゾパイエンダイオキシダーゼなどの解毒酵素や、GST、NATなどがありますが、これらの酵素を作り出す遺伝子が欠落している、あるいは変異しているなどの多型性の問題があります。これは個人によって分解能力に生まれつきの違い(がん感受性)があることを示唆しています。
タバコ煙中の発がん物質は生体内で代謝を受けてから発がんしますが、代謝能の遺伝的個体差に関しても積極的に研究が行われています。発がん物質はDNAに直接作用してDNA付加体を形成し、遺伝子機能に障害を与え、DNA付加体は分解されると尿中に排出されますが、その量にも個人差があります。一般集団のDNA修復能にも、女性は男性に比べて低いという性差があります。とくに女性肺がんではDNA修復能が低いと報告されています。
喫煙者の肺がん組織に、代表的がん抑制遺伝子p53の変異が多くみられ、発がんに重要な役割をし、予後を不良にしていることに関してはすでに多くの報告11)があり、今後の研究にも大きな期待がされています。喫煙感受性遺伝子に関しては、第1相反応酵素であるCYP1A1や、第2相反応酵素GSTM1などの活性と遺伝子多型が注目されており、Kiyoharaら12)はGSTM1nullの遺伝子多型を有する非喫煙者、女性では肺がん発生のリスクが1.37倍になり、さらに夫が重喫煙者である場合はそのリスクが2.27倍に上昇することを報告しました。多環芳香族炭化水素とDNA付加体の形成は同一喫煙量で女性の方が多いとされ、喫煙によるDNA障害をより受けやすいと考えられています13)。 また、女性では正常肺組織においてCYP1A1遺伝子の発現レベルが高く14)、遺伝子多型により酵素活性が高まっていることが関係している15)との報告もあります。
Shriverら16)は、GRPR(gastrin releasing peptide receptor)というがん増殖に関係する遺伝子に注目し、男性では喫煙者の20%、非喫煙者の0%、女性では喫煙者の75%、非喫煙者の55%でGRPRが活性化していると報告しました。その遺伝子は性染色体X上に存在し、女性はXXのホモ遺伝子型であるため、遺伝子産物のGRPRは当然男性よりも増加しやすいものと考えられます。GRPRは長期の喫煙によりそのmRNAの発現が促進されると報告されていましたが、女性の非喫煙者や少量喫煙者で、男性に比べ有意にGRPRmRNAの発現頻度が高かったという大変興味深い報告でした。このことは、女性の方が受動喫煙も含めた少量の喫煙暴露に感受性が高いことを示唆しており、女性がX染色体を2本持つことに起因するものと考えられます。私たちNPO法人では、今後これらの遺伝子解析を普及させることで、喫煙に関連した肺がん感受性が明らかになることを期待しています。
エストロゲンホルモンの影響:
性差を考える上でホルモンによる影響も十分考えられます。喫煙は女性ホルモン(エストロゲン)に拮抗する作用を及ぼします17)。一方、閉経が早い女性では肺腺がんの発症が少ないが、エストロゲン補充療法を受けている女性では喫煙者の肺腺がんの発症が非喫煙者の32倍と報告されています。エストロゲンは発がんやその後の増殖に対して促進的に働くと考えられています18)。 肺がんの細胞株において、βエストラジオールの刺激でがん細胞と正常肺細胞の両者で増殖反応を示し、エストロゲンはがん細胞への直接作用のみならず、上皮細胞や間葉系細胞への間接作用によって発がんに関与しています。エストロゲンレセプターにはERαとERβがありますが、女性と男性ではその発現レベルに差があり、腫瘍組織ではERβの発現に差はないがERαは女性の方が男性よりも多く発現しています。このようにエストロゲンレセプターの発現が性差感受性に影響していることが示唆されます19)。
おわりに
米国では1940年代から1950年代にかけて肺癌で死亡する男性が急激に増加しました。この原因は、1920年代から1930年代にかけて紙巻きたばこが全米に普及したためと考えられています。たばこの普及は20年から30年後に、癌患者の急激な増加という形で社会的に大きな問題を引き起こします。現在日本では若い女性でたばこを吸う人の割合が増加しています。これが20年後30年後に女性癌患者の急増という形で大きな社会問題となることは間違いありません。とくにこれから子供を産み育てていく若い女性の喫煙は、確実にその子供にも影響を及ぼします。自らの身体だけではなく、次の世代をも蝕むたばこは一刻も早く止める必要があります。 ヒトゲノム解析が完了してから、各人の遺伝子を調べる技術の簡易化に伴い、遺伝子とがん感受性との相関を疫学的に調べようという研究が行われるようになってきました。この分野の研究はまだ始まったばかりであり明確な結果が得られるまで地道な研究を積み重ねる必要があります。私たちNPO法人では、今後の女性肺がんやCOPDの急増を防ぐ目的で、現在女性の喫煙感受性を含む性差遺伝子解析の研究を積極的に行っています。結果に期待していてください。
引用文献:
1) de Torres JP,Cote CG,Lopez MV,et al. Sex differences in mortality in patients with COPD. Eur Respir J 2009;33:528-535.
2) de Torres JP,Casanova C,Celli BR. Sex,forced expiratory volume in 1s decline,body weight change and C-reactive protein in COPD patients. Eur Respir J 2009;34:776.
3) Risch HA,Howe GR,Jain M,et al. Are female smokers at higher risk for lung cancer than male smokers? :a case-control analysis by histologic type. Am J Epidemiol 1993;138:281-293.
4 ) Henschke C. International Early Lung Cancer Action Program Investigators Women's Susceptibility to Tobacco Carcinogens and Survival After Diagnosis of Lung Cancer. JAMA 2006;296:180-184.
5) 前田元、深井志摩夫、小松彦太郎、ほか.性差と喫煙が非小細胞肺癌患者の予後に及ぼす関係.肺癌 2006;46:715-721.
6) Freedman N,Leitzmann M,Hollenbeck A,et al. Cigarette smoking and subsequent risk of lung cancer in men and women:analysis of a prospective cohort study. The Lancet 2008;9:649-656.
7) Cohen SBZ,Pare PD,PaulMan SF,et al. The growing burden of chronic obstructive pulmonary disease and lung cancer in women:examining sex differences in cigarette smoke metabolism. Am J Respir Crit Care Med 2007;176:113-120.
8) US Department of Health and Human Services: The health consequences of involuntary exposure to tobacco smoke:a report of the surgeon general. Atlanta,GA: US Department of Health and Human Services,Centers for Disease Control and Prevention,Coordinating Center for Health Promotion,National Center for Chronic Disease Prevention and Health Promotion,Office on Smoking and Health,2006.
9) Kurahashi N,Inoue M,Liu Y,et al. Passive smoking and lung cancer in Japanese non-smoking women:a prospective study. Int J Cancer 2008;122:653-657.
10) Eisner MD. Environmental tobacco smoke exposure and pulmonary function among adults in NHANES III:Impact on the general population and dults with current asthma. Environ Health Perspect 2002;110:765-770.
11) Esposito V,Baldi A,De Luca A,et al. Prognostic value of p53 in non-small cell lung cancer:relationship with proliferation cell nuclear antigen and cigarette smoking. Hum Pathol 1997;28:233-237.
12) Kiyohara C. Risk CYP1A1 and GSTM1 polymorphisms in the association of environmental tobacco smoke and lung cancer:a case-control study in Japanese nonsmoking women. Int J Cancer 2003;107:139-144.